phase:1



棘の女王(ソニアクイーン)



 ドレスデン大陸の中西部一帯に広がる超巨大国家、神聖ディバイン帝国。
 建国からわずか30年の月日で大陸最強の軍事大国となったディバインは、その強引ともいえる急成長が祟って、巨大な体躯に様々な機能不全を引き起こしていた。
 しかし始皇帝ブッフバルト・フォン・ディバインの器量とカリスマで、取りあえずは表面上の問題になることはなかった。
 彼の存命中は。
 しかし彼が崩御すると事態は一変、この巨大な帝国のパイ生地を食い争う(やから)が出てきたのである。
 このカースレーゼ・ニールセンもその一人だった。
 齢は70近くに差し掛かっているが、ピンと伸びた背筋と引き締まった身体から年齢よりも若く見える。鋭い眼光は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が徘徊する政界を渡り歩いてきた手腕を物語っていた。
 彼はブッフバルトの元で宰相を務めた切れ者で、帝国の急成長に貢献した一人である。
 だが、彼は野心にあふれていた。
 空席の玉座に座るのは皇位第一継承者である皇女ゼノビアではなく、カースレーゼこそが相応しいと考えていたのである。
「確かに(ブッフバルト)は偉大だったよ。だが、あいつは戦争屋だ。これだけの帝国を治める器量なんて欠片もない。私の力がなければ、ここまで成長することもなかっただろうさ」
 カースレーゼはかつての戦友の座っていた玉座に腰掛、片手に赤ワインをくゆらせていた。
「青い血? はっ、笑わせる。色が青いだけで神に成れるなら、私もそうしただろうさ。だが、この世に神なんてものは存在しない」
 カースレーゼは丸眼鏡の奥に鋭い眼光を光らせる。唇の端が醜くつりあがり、悪魔のような笑みで笑った。
(ブッフバルト)は死んだ。これからは神の偶像と呼ばれた人間が支配する世の中となるだろう。そうだろう、シュレイダーよ?」
 カースレーゼは闇に深く落ちた王座の間の端に目をやる。
「はっ」
 闇と一体化した何者かが声を発した。
 よく見ると青年のようだ。
 ぎらつく黒い甲冑に身を包み、一瞬、魔王か何かのように見えなくもない。仰々しい仮面の兜をかぶり、整った口元とあごのラインしか窺い知ることができない。
 しかしこれはあくまでパフォーマンスであった。彼にとって鎧など何の意味も持たない。
 彼は帝国最強の騎士なのだ。彼が本気を出せば、凡兵が束になってかかっても一蹴されてしまう。その実力はカースレーゼもよく心得ていた。
「お前はおそらく史上最強の戦士だろう。だが、心得ておくのだな。力だけで仰せるほど人の世は甘くない。私の生き様、しかと見届けるがいいわ」
 シュレイダーは返事はしない。軽く頷くだけである。必要以上に喋らない男なのだ。
「ところで、先の作戦はどうなっている?」
 カースレーゼは手元のテーブルに置かれたワインクーラーから赤ワインを取り上げると、グラスに注ぐ。
「どうだ、お前も一杯?」
「……任務中ですので」
「ふん、酒は命の水だ。酒のない世界など考えられぬ」
 シュレイダーの言葉にカースレーゼは軽く肩をすくめた。
「では、報告を聞こう」
「はっ。フェーズ1は完了しました。クロヴィス将軍とベアトリーチェ将軍率いる反乱軍は、反撃の態勢を整えるためにいったん戦線を引き下げています。現在ベラケレス将軍率いる第6機甲師団が、サルヴァトレー河を挟んでクロヴィスと対峙しております。第3砲兵旅団の機動展開も2時間後には完了する予定で、敵布陣の大抵を効力射撃に収めることができます」
竜騎兵(ドラグーン)による近接航空支援は?」
「先の第一次攻撃と第二次攻撃で猛反撃を受けており、稼働率は60%に下がっています。オーバーホールが必要な機体が4分の1です。クロヴィスは兼ねてより対ドラグーン対策として対空兵器を重要視していましたから、その戦法にしてやられた形ですな」
「まったく虎の子が聞いて呆れる。こんな損耗率ではとても航空優勢が保てんわ。帝国軍の生命線は電撃戦なのだぞ?」
 カースレーゼは眉間にしわを寄せる。
「ドラグーンはよく奮戦しています。敵も甘くはないということです」
 シュレイダーの言葉にカースレーゼは苛立たしげにとんとんと眼鏡のふちを人差し指で叩いた。彼の癖である。
「やはり皇女(ゼノビア)を取り逃がしたのが大きかったな」
「錦の御旗は彼らにありますからね。奇襲は成功しましたが、彼らも反撃の態勢を整えつつあります。地形と兵器ではこちらに利がありますが、長期戦になると何かと厄介です。にわか民兵など戦術レベルでは取るに足りませんが、戦略規模になると分が悪いです」
「そのために背後からイメルマ王国の支援を依頼している。挟撃が成功すれば、奴らもひとたまりもあるまい。紛争が長期化すれば国力が低下し、他国に隙を見せることになる。この作戦は早期に終結させねばならない」
 カースレーゼは吐き捨てるように言った。しかしシュレイダーは声の調子を変えずに淡々と上申する。
「どうですかね? 旧式装備のイメルマに過大な期待を寄せるのは。反乱軍も数は少ないとはいえドラグーンを保有していますし、クロヴィスとベアトリーチェが操る第4世代のドラグーンの戦力はまさに一騎当千です。正直この私でも手こずります。ましてや二機を同時に相手をして勝てるかどうか」
「お前にしては弱気だな。正面での激突では消耗戦になると?」
「御意」
 シュレイダーの言葉を反芻してカースレーゼは黙り込む。冗談ではない、せっかくの好機を潰してなるものか。
「司令官の暗殺、か」
「同じことを考えておりました」
 カースレーゼは幾分機嫌を直す。
「参謀本部には確か隠密部隊がおったな。奴らはできそうか?」
「既にスリーパーが潜入活動しています。なかなかガードが硬く、機会を伺っている最中ですが」
「内部からのかく乱は?」
「扇動工作も進めています。しかしクロヴィスとベアトリーチェの人望は厚く、正直あまり上手くいっていないのが現状です」
「ええい、忌々しい」
 カースレーゼはグラスを床に叩きつけた。乾いた音ともにガラス砕け散る。
「フェーズ2は可及速やかに進めるのだ。奴らに反撃の隙を与えるな。直ちに攻撃を開始しろ!」
「まだこちらも攻撃準備中ですが、よろしいので?」
「火力はこちらが上だ! 一点突破で突き崩せ!」
「はっ」
 カースレーゼの罵声にシュレイダーは深々と頭を下げた。



 ベアトリーチェの邸宅が俄かに慌ただしくなっていった。
 あちらこちらに傷ついた兵士のうめき声が聞こえ、さながら地獄絵図のようである。
 帝都でも麗しい建造物として臣民の羨望を集めていたベアトリーチェの邸宅は、反乱軍の野戦病院として機能していた。
 既に市内の病院はパンク状態で、おびただしい負傷者を収容し切れていなかった。よってベアトリーチェが自分の邸宅を解放したのである。
「大丈夫ですか? 痛みはだいぶよくなりましたか?」
 そこに住み込みで働いていたマリアベルは、目の前の惨状に胸を痛めていた。
 今手当てをしている中年兵もおそらく助かるまい。虫の息で何事かつぶやいているだけである。
 今はただ、死を目前にして生に渇望する兵士を励ます言葉しかかけてやれない。痛み止めのモルヒネも底をつきつつあった。
 男が何かを胸ポケットからまさぐろうとしていた。だがうまくいかない。
 男は手首を失っていたのである。
「何かあるんですね?」
 マリアベルは男の胸ポケットからロケットを見つける。
 ロケットを開けるとセピア色の写真が入っていた。あどけない男の子を抱いた女性が笑っている。おそらく息子と妻だろう。
 マリアベルは息が詰まった。
「……なによろしく伝え…くれ」
 男は呼吸音とともに何とか言い終えると、それっきり動かなくなった。
「おじさん?」
 マリアベルははっとして首筋に指を当てた。脈が停止している。
 死んだ。
 たった今この男の人生が幕を閉じたのだ。
 マリアベルは言い知れぬ虚脱感と、悲しみに突き落とされた。
 だが、泣いていてはいけない。まだ救わなければならない命がたくさんあるのだ。
 マリアベルは男のまぶたを指でそっと閉じると、胸の前で十字を切って冥福を祈った。
 神よ、どうかこのおじさんの魂を救済してください。
「マリアベル、こっちも手伝って!」
 仲間の女中が悲鳴に近い声でマリアベルを呼ぶ。
 なんでこうなってしまったのか?
 つい先月まで帝都は平和そのものだった。
 可愛らしい我らが姫君、ゼノビア様の聖誕祭が盛大に執り行われたのが嘘のよう。
 壮麗な建築物が立ち並ぶ歴史地区が無残に燃えている。
 ゼノビア様は幼い心をさぞお痛めになっているに違いない。もっとも、私もゼノビア様より二つ上だから、まだ子供なのかな。しかしディバインでは15歳になれば立派に大人である。いつまでも甘えていてはいけない。
 マリアベルは何とか心を奮い立たせて、新たな負傷者の待つ病室に向かう。
 と、
「ベル、いたのね」
 何もかも溶かすような麗しい声。マリアベルにとって何にも変えがたい、憧れの女性の声である。
「ベアトリーチェ様!」
 思わず反射的に直立不動の姿勢をとってしまうマリアベルであったが、ベアトリーチェはクスリと微笑むとそっと肩に手をかけてリラックスさせる。
「あっ」
 あまりの緊張と疲労感から開放され、安堵からマリアベルは思わずひざを崩してしまう。
 それをベアトリーチェは優しくふわりと抱きとめた。
 戦場を潜り抜けているというのに、ベアトリーチェの体からはほのかな芳香さえ漂うようである。
 パーフェクトビューティ。
 ベアトリーチェはまったく死角のない完璧な女性だった。
「本当に苦労をかけさせているわね。兵士たちもあなたの献身に感謝しているわ」
「いえ! 私の力が足りないばかりに、どんどん人が死んでいくんです! 命が失われていくんです!」
 マリアベルはベアトリーチェという安心材料を手に入れたためか、(せき)を切ったように泣きじゃくりながら現状を訴えた。
「私、どうすればいいのか……!」
「あなたのせいではないわ、ベル。憎むべきは戦争よ」
「戦争……」
 マリアベルは呆然とつぶやく。単語にしても実感が湧かないのは、そんな薄っぺらい言葉を吹き飛ばすあまりの惨劇を見すぎたせいだろうか。
「ねえ、ベル。少しの時間、付き合ってもらっていいかしら?」
「そ、そんな! お姉さまこそ、ご多忙の身。あっ、思わずお姉さまだなんて、私……」
 マリアベルはしどろもどろになって焦り笑いをするが、ベアトリーチェはやさしく微笑み返す。
「いいのよ。あなたは大事な私の『妹』なのだから」
「お姉さま……」
 マリアベルは恍惚とした表情を浮かべると、うんうんと必要以上に頷いてベアトリーチェの背中を子犬のように追いかける。
 辿り着いたのは、ベアトリーチェの私室だった。ここだけは彼女の空間として確保してある。
 平和な日々がはるか昔のように思い出される。あの窓辺で二人、歌いあった日々。
 それも今は叶わない。
 また涙ぐみそうになってマリアベルは顔を背けた。
 ベアトリーチェはそれを見逃さなかったが、あえて気付かないフリをした。
「話というのはね、ベル。あなたに頼みごとがあるの」
「は、はい! なんなりとお申し付けくださいませ!」
 マリアベルは必要以上にかしこまるが、ベアトリーチェがまあまあと宥める。
「この親書をある人に届けてもらいたいの」
 そういうとベアトリーチェは引き出しから、一通の封筒をマリアベルに差し出す。
「手紙、ですか?」
「そう。この国の外にいるはずの、彼に、ね」
 マリアベルはその「彼」という単語に反応して、思わず宛名を確認した。
 そこにはフレデリック・ル・ボナパルトと書かれている。
「フレデリック様!」
 マリアベルは思わずきゃっと嬌声を上げてしまった。
 それもそのはず。
 フレデリックといえば「帝国の至宝」とまで謳われた英雄の息子。その実力もさることながら、容姿端麗にして人望に厚く、将来の大将軍を渇望されていた青年である。帝国の女性たちのハートをすべて射止めたとまで言われた伊達男。
 あのベアトリーチェとの恋仲が噂された時は、女性たちの間で話題が持ちきりだった。
 つまり、あの噂は本当だったというわけである。
 もっとも、マリアベルはベアトリーチェに一番近しい立場にいる。彼女がフレデリックに並ならぬ意識を持っていたことは了解事項だった。
「もしかしてお姉さまは……ああ、いけませんわ! 帝国を追放された堕ちた英雄に恋するなんて、禁断の……」
「……盛り上がっているところ悪いんだけど、そういう話ではないのよ。単純に、援軍の話よ」
 ベアトリーチェらしからぬぶっきらぼうな言い草。逆にますます勘ぐってしまいたくなるマリアベルであったが、ふとある事に気付く。
「あの、お姉さま。大変申し上げにくいんですけど」
「何かしら?」
「もしかして、これを口実に私を国外に逃がそうとしていませんか?」
「……ふぅ、そうとも言えるわね」
 ベアトリーチェはバツが悪そうに視線をそらす。
 これにはマリアベルがいきり立った。
「待ってください! 私は帝国に残ってお姉さまをサポートします! 片時も離れるなんて嫌です!」
「うぬぼれないで!」
「!」
 ベアトリーチェの突然の剣幕にマリアベルは二の句が継げなかった。
「今のあなたに何ができるの!? 魔法もろくに使えない。剣を取って戦うこともできない。看護の技術も付け焼刃だわ。そりゃ、一人でも多くの看護士が必要だけれども、この戦況が良くならない限り、現状は悪化するばかりよ!」
 そう吐き捨てるベアトリーチェの美しい顔に苦悩の陰りが見えた。彼女もギリギリのところで戦っているのだ。司令官たるもの、部下に不安を抱かせてはいけない。常に演技を続ける必要があるのだ。
「お願い、分かってベル。あなたをかばいながら戦うことは不可能なの」
「でも……」
「じゃあ、はっきり言うわ。足手まといよ」
「そんな……」
 マリアベルはがっくりと肩を落とした。
 思わず親書を取り落としそうになる。
 涙が溢れてきた。
 今日何度目の涙だろう。そんな馬鹿なことを考えていた。
 一番信頼していた人物から告げられたあまりに過酷な戦力外通告。
 マリアベルは目の前が真っ暗になるのを感じた。
「わたし……では…だめ…なんですか……?」
 雨に打たれてしょぼくれる子犬のようになったマリアベルを見かねてベアトリーチェが必要以上に明るい声を出す。
「何を言っているの。ベルはやればできる子よ。その親書の任務だってとても大切なの。誰にでも頼めることではないわ」
「でも、優秀な部下は薔薇騎士団に一杯いらっしゃるのでは?」
 マリアベルはベアトリーチェが結成した皇女親衛隊「薔薇騎士団」の名前を挙げる。
 薔薇騎士団とは主に女性で構成された「超」が付くエリート部隊で、その華やかさは帝国のみならず、大陸全土にも知れ渡っていた。帝国の広告塔と言っても良い豪奢(ごうしゃ)な部隊である。
 だが、今は戦時下。彼女たちは本来の任務を全力で遂行している最中である。
「戦力は今は割けないわ。一人たりともね。そしてフレデリックと親交があった人物も限られるわ。あなたは彼とは仲が良かったでしょう?」
「それはそうですけど……」
 フレデリックはマリアベルの良き兄のような存在だった。
 今思えばベアトリーチェに近づく口実に、彼は私と親しくしていたのかも知れない。
 だが、それを差し引いてもかけがえのない人であることは変わりなかった。
「お願い。フレデリックを探し出して、ここに連れて来て。本来は私が出向くべきなんだろうけど、状況がそれを許さないわ」
 ベアトリーチェの真摯なまなざしにマリアベルはこくっと頷いた。
「ありがとう、いい子ね」
 ベアトリーチェはマリアベルの頭を優しく撫で回す。マリアベルは嬉しさ反面、もうベアトリーチェに会えなくなるのではないかという不安に怯えていた。
「お姉さま、私一人で務まるのでしょうか、この任務は……」
 まだここに居残りたい口実がつい口に出てしまう。
「そうそう、あなたを一人では行かせないわ。レオ」
 そうベアトリーチェに呼ばれて一人の少年が歩み出てきた。
 何もない空間から!
「きゃっ!?」
 思わず間抜けな声を上げるマリアベル。
「申し訳ありません、驚かせてしまったかな? 僕はさっきからここにいたんですがね」
 少年はかぶっていたベレー帽を手に取ると、軽く謝罪のお辞儀をする。
 男性と呼ぶには線が細く、中性的な美しさを漂わせる美少年である。
「紹介するわ。彼は薔薇騎士団の隊員、レオニード・アルモドバルよ」
「はじめまして、マリアベル・レ・ランカスター。兼ねてよりベアトリーチェ様から話は聞き及んでいます」
「は、はあ、どうも」
 また間抜けな返事をしてしまった。
 しかし薔薇騎士団は女性だけで構成されているものと思っていたが、やっぱり男性も混ざっていたんだなと今更ながら知った。
 極度の男性嫌いのベアトリーチェでも、一部の男性は大丈夫だった。例えば一時のフレデリックとか。あるときを境にめったに口を利かなくなってしまったが。
「彼は幻覚魔法が得意なの。きっと役に立ってくれるわ」
「変装の達人ってことですか? そういえば、さっきはどうやって隠れていたんです?」
 マリアベルは感心したようにレオニードをみやる。
 と、レオニードはマリアベルのつぶらな瞳に何を意識したのか、慌てて視線をそらせて頬を赤らめた。
「ああ、光を屈折させて姿を隠していたんだ。その……会話は聞いていないから」
「!」
 マリアベルは思いっきり顔を紅潮させる。
 さっきの恥ずかしげもなく泣きじゃくっていた自分を目撃されていた!
「こ、このっ」
 思わず手に持っていた親書を投げつけようとして、やめた。
 大事なものを無粋に扱ってはいけない。
「どっ、どうして、中で待機していたのよ! 普通は外でしょ! 外!」
「いや、中で待機していていいとベアトリーチェ様が。魔法の実力を知ってもらうよい機会だと」
 マリアベルは恨めしそうにベアトリーチェを見やる。ベアトリーチェは涼しい顔だ。
「マリアベルの可愛い部分を知ってもらいたくて、ね。これから旅をする仲間だし、心情把握というか」
 チロッと舌を出して小悪魔の笑みを浮かべる。
「お姉さまの意地悪……」
 マリアベルは嘆息したがそれ以上は言わなかった。
 ベアトリーチェの悪戯は今に始まった話ではない。
 だが、今回は最悪だった。
 日が傾き始めていた。窓辺から赤い太陽が顔を覗かせている。



 ベアトリーチェの邸宅地下に埋設されたガレージ。ここには古代の攻勢生物兵器「ドラグーン」の構造からヒントを得て作られた、「天馬(ペガスス))」が係留されている。
 ペガススはおよそ10メートル程度の飛行機で、素材は軽量かつ硬度に優れたミスリルを主体とした合金で構成される。
 また搭乗者の魔力を補助動力源に使うドラグーンとは違い、魔導機関(マギ)による完全な内燃機関を備えているため、搭乗者に魔力がなくても操縦に問題はない。
 余談だが、ペガススの技術を応用したのが第3世代以降のドラグーンで、マギの搭載により稼動時間が大幅に改善されている。その代わり大型化を余儀なくされ、15メートルを超えるものもある。とはいっても、ドラグーンにしろペガススにしろ、稼働時間は巡航速度でせいぜい2時間。リミッター解除で飛び回れば、10分も持たないのが現状だ。非常に強力な空中機動兵器だが、作戦行動時間が短く頻繁な補給が前提となっているのが欠点である。
 ペガススは民生品の固定武装を持たないもの、軍用の固定武装やハードポイントを持つタイプに分かれており、ベアトリーチェの邸宅に係留されているのは後者のほうだ。
 帝国最新の20mm機関砲を前方に一門、後部座席に回転式台座(ターレット)の12.7mm機関砲を一門備えている。さらに2箇所あるハードポイントに予備のパワーストーン(マギバッテリー)を増設したり、通常爆弾を搭載することもできた。今回は遠距離の航路になるので、ハードポイントにはパワーストーンを二つ装着する。
「よし、これで問題ないでしょう」
 レオニードは外観部をチェックすると、タラップを駆け上がり操縦席に収まる。
 慣れた手つきで各スイッチ類を操作していった。
「各計器オールグリーン。マリアベル、ハーネスの装着、上手くいきましたか?」
「ま、まあ、なんとかね」
 実はベアトリーチェに連れられて、何度か遊覧飛行をしたことがあった。もちろん彼女は操縦なんてできない。後部座席にちょこんと座るだけである。
 レオニードはパワースイッチを入れると、スロットルレバーを動かして、魔力(マナ)をエンジンに送り込む。
「エンジンも問題なしだ。さすがベアトリーチェ様、ちゃんと手入れが行き届いている」
「そ〜だね〜」
「……どうしました? さっきの件がまだ気に障りますか?」
「いや、そうじゃないけど」
 むっとマリアベルはふくれるとそっぽを向いた。非常に分かりやすい。
 レオニードはベアトリーチェの悪ふざけにため息をついた。
 いきなり関係最悪じゃないですか、もう……
「管制室、アルファ、準備完了。指示を待つ」
『こちらエコー。ハッチ開放、離陸を許可する』
 管制室からの無線が入ると、ぐおおおんという金属のひしめく音で、天井が左右に分かれる。垂直上昇で飛び立つわけだ。
「アイハブコントロール。アルファ、テイクオフ!」
 ペガススのエンジンノズルががくっと垂直に傾いた。その反発力で機体が浮遊し始めだす。ホバリングだ。
 妙な浮遊感がマリアベルの不安を増幅させる。
 ベアトリーチェ様は大丈夫かな? ゼノビア様は? 友達は? みんなは?
「現在安全高度に到達。これより巡航(クルーズ)に入る」
『グッドラック』
 エンジンノズルが水平に戻り、機体が前進を始めた。
 マリアベルは眼下に広がる光景に息を呑んだ。
「ああ、帝都が」
 燃えている。
 赤く。
 そして慣れ親しんだベアトリーチェの邸宅が小さくなっていく。
 砲声が鳴り響いたような気がした。
 いや、本当に砲撃だった。戦闘が再開されたのだ。
「まずいな、早くこの空域を離脱しないと。ドラグーンに絡まれたらひとたまりもないぞ!」
 レオニードはリミッターを一時的に解除して速度を上げる。
「ああ、ベアトリーチェ様!」
 マリアベルは悲壮な声を上げる。
「マリアベル、悪いけど感傷に浸っている暇はなさそうだ」
 レオニードが苦しげに声を漏らす。
「ドラグーンだ」
 そう、紫のドラグーンが飛翔していた。
 まだこちらに気付いてはいないが、あきらかにカースレーゼ軍の所属のものに違いない。
 凶悪な竜は虎視眈々と獲物に目を光らせている。
「マリアベルは四周警戒を頼む。銃座は正直何の役にも立たないと思う」
「なんで!?」
「ドラグーンはアダマンタイトと呼ばれるオーパーツで構成されているんだ。こんな銃弾は豆鉄砲にしかならない。最低でも40mmはなければ、かすり傷にもならないよ」
「そ、そうなんだ」
 マリアベルは愕然とした。そこまで圧倒的に性能差があれば、確かにひとたまりもないだろう。
「くそっ、出航直後でこいつは堪えるな。正直、航続距離は激減すると思う」
「フレデリック様のいると思われるオースティン共和国まで、結構あるんだよね?」
「帝国を離れたらマナを補充できる場所は極度に限られる。機体は乗り捨てて、徒歩や馬に換えるしかないね」
 レオニードはできる限り高度を下げて、ドラグーンをやり過ごそうとした。
 が、気づかれた。
『こちらタリホー。威力偵察(コマンドレコネサンス)中に所属不明の機体を一機発見。ペガススタイプと思われる、オーバー』
 紫色のドラグーンに乗ったパイロットが飛行隊長に報告をあげた。
『こちらアルファリーダー。タリホー、今この空域にわが軍のペガススは飛んでいない。敵機(ボギー)だ。排除しろ!』
『ラジャー』
 ドラグーンは翼を畳むと、猛禽類のように急降下を開始した。風を切り裂く音が不気味に響き渡る。
「雑魚め。国外逃亡でも企てる気か!?」
 このドラグーンは第三世代機だ。要撃用の空対空ミサイルを8発搭載しており、魔法に長けたものは、ブースターにより魔法の威力を増幅させた攻撃もできる。もっとも、魔力は動力源でもあるから、よほどの魔力の持ち主でなければ、ただ単純に消耗が激しくなるだけだ。
「ちっ、おそらく相手はミサイルで攻撃してくる」
 レオニードは必死の形相でジョイスティックを操る。
「み、ミサイル?」
 マリアベルはまた間抜けな声で質問する。
「帝国の最新兵器だ。こちらの魔力(マナ)を探知して追尾(ホーミング)するパッシブ型と、ドラグーンからマナを照射してその反射を感知して追尾するセミ・アクティブ型に分かれている。とにかくタチが悪い。直撃しなくても、近接信管で機関にダメージを与えてくるからね」
「何とかならないの!?」
「逃げるしかない!」
 言うが早いか、レオニードはスロットルを全開にした。リミッターが解除され、魔光が激しくエンジンノズルからほとばしる。
「最大戦速ならイケるか!?」
 レオニードはぎりぎり歯ぎしりした。
「んくぅ」
 凄まじいGにマリアベルもシートに激しく押し付けられる。
「ふん、舐めるなよ」
 ドラグーンのパイロットもリミッターを解除して加速を開始した。
 高度差によるエネルギーの供給により、みるみるペガススに迫っていく。
 ついには翼の先端からソニックブームが発生し、不気味な金切り音が空をびりびりと震わせた。。
 音速を突破したのである。
 亜音速を超えることができないペガススではまったく相手にならない鬼ごっこであった。
「くそ、ふりきれない!?」
「うそ!?」
 二人の悲鳴と同時に、ドラグーンからミサイルが放たれた。
「堕ちろ、カトンボ!」
 ドラグーンは必殺をこめてさらにもう一発ミサイルを放ってきた。
 マギエンジンが着火して、一気にミサイルが放物線を描きながら加速を開始する。
「なんとぉ〜!」
 レオニードはジョイスティックを巧みに操り、なんとか一発はやり過ごす、しかしもう一発のミサイルまで振り切れない!
「!!!!!」
 マリアベルは思わず神に祈った。
 スガン!
 爆発音は、しかし想像したよりも遠くで聞こえた。
「?」
 マリアベルはそっと瞳を見開く。そこにはエメラルドにカラーリングされた、美しき竜が立ちはだかっていた。
 あれは……
「ベアトリーチェ様!!!!!」
「ふう、間に合ったわね」
 ベアトリーチェはコクピットでほっとため息をつく。
『どうしてここに?』
 マリアベルは無線で問いかける。
『思ったより早く戦闘が開始されて嫌な予感がしたのよ。あなたたちが戦闘空域を出るまではサポートさせてもらうわ』
『でも、前線の兵士たちが……』
『言ったでしょう。あなたの任務は想像以上に重要なのよ。フレデリックは……帝国最強の騎士よ』
 その言葉には信頼がこもっていた。
 やはりベアトリーチェはフレデリックを特別な存在として捉えているのだ。
 マリアベルはなんともいえない感情がこみ上げるのを覚える。なんとしてもフレデリックを発見し、協力を仰がなくては。
「なっ、エメラルドドラゴンだと!? まさか、『棘の女王(ソニアクイーン)』ベアトリーチェなのか!?」
 ドラグーンのパイロットに衝撃と動揺が走る。
 帝国最強の4竜将の一人が目の前にいる!
 操縦テクニックもさることながら、機体性能の差はいかんともしがたい。
 正面切って戦って勝てる相手ではなかった。
『メーデー! メーデー! こちらタリホー! アルファリーダー! ベアトリーチェがここにいます!』
『なんだと!? なぜこんな外れに』
 それ以上パイロットは答えを言えなかった。
 一瞬で加速したエメラルドドラゴンが紫のドラグーンに迫る!
「くそっ」
 紫のドラグーンは間合いを計ろうと加速を開始するが、その航路を見透かしたようにエメラルドドラゴンが先回りする。
 規格外の早さだ。
 噂には聞いていたが、まさに空間を跳躍する早さである。
「ちくしょう、化け物めっ!」
「失礼ね。レディにかける言葉ではなくてよ、三下」
 ベアトリーチェが素早くコンソールを操作すると、エメラルドドラゴンは人型に変形する! そして目にも留まらぬ速さで、ブレードを抜き放ってドラグーンを斬り付けた。
 真っ二つになったドラグーンは一瞬時間が止まったように静止した。そしてほどなくマギの暴走で爆発を巻き起こす。
 戦闘開始からわずか一分足らずで虎の子のドラグーンがあっさり撃破されてしまった。
「私に殺されたことを光栄に思いなさい」
 ベアトリーチェは暗い表情でにやりとすごんだ。
 これが帝国が世界に誇る第4世代のドラグーンの実力である。すべてが規格外であった。
 ベアトリーチェの帝国最強といわれる魔力と巧みな操縦センス、徹底的なまでにスピードにスペックを振り向けた結果がもたらした戦果だ。
「ベアトリーチェ様、かっこいい……」
 マリアベルは無邪気にベアトリーチェの圧倒的な勝利に酔いしれていた。
 やはり帝国の救世主はベアトリーチェをおいて他にないとさえ思えた。
「す、すごい」
 レオニードも呆然とした。
 平時でもベアトリーチェの才能を何度も見せ付けられていたが、まさかここまで圧倒的とは。
 恐れ入るしかなかった。
『さあ、なにをぼやっとしてるの? あなたたちの使命を果たしなさい』
 凛としたベアトリーチェの声にはっとするマリアベル。
『は、はい! お姉さまのご武運をお祈りします!』
『ありがとう、ベル。必ず帰ってくるのよ』
『は、はい!』
 マリアベルは万感の思いでベアトリーチェと別れを告げた。
 一方、飛び去るペガススを見送り、コクピットの中でベアトリーチェは一人つぶやく。
「その時は私の帝国があなたを迎えるわよ。ウフフフ……アハハハハハハハハハハッ」
 小悪魔的な笑みを浮かべた後、ベアトリーチェは狂ったように哂った。
 何かに憑りつかれたかのよう。



TO BE CONTINUED……

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